週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

26.7.5 私の居場所


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2026.7.5 週報.pdf
 
「詩篇73:28 しかし 私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。私は 神である主を私の避け所とし あなたのすべてのみわざを語り告げます。」
 

「置かれた場所で咲きなさい」

 2012年に、渡辺和子さんというシスターが書いた著書「置かれた場所で咲きなさい」は、200万部を売り上げ、ベストセラーとなりました。
 渡辺さんは、29才で修道女となり、その後、岡山にあるノートルダム清心学園に赴任し、その翌年、当時の学長が亡くなられ、急きょ36歳の若さで、学長に任命されることになります。初めての土地で、思いもよらない形で任された立場で、彼女は自信を喪失し、思いつめていた時でした。
 ある宣教師からもらった手紙の中に「置かれたところで咲きなさい」と書いてあったそうです。彼女は、仕方がないとあきらめたり、周りの環境のせいにするのをやめて、「この場所で自分が幸せに生き、周りも幸せにするのだ」と決意して、神が自分をこの場所に置いてくださったことを示す生き方へと変えられました。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。」と著者は言っています。
 

神のみそばが私の居場所

 居場所は、ありのままの自分でいられる、安心できる場所であり、「ずっとそこに居たい」と思える場所ではないでしょうか。たとえば、子どもにとっての居場所は、家庭です。家庭に愛があれば、子どもは安心してその場所に居ることができます。職場で、任されたポジションで、与えられた役割を全うし、やりがいを持って働く時、「私はここで生きていくんだ」と、そこに自分の居場所を見出します。
 聖書は、人が本来居るべき場所は、神のみそばであると教えています。人はみな神によって造られ、神のかたちに似せて造られた存在です。ですから、神のみそばに行き、神と一緒に過ごす時、本当の平安を得ることができます。
 では私たちは、どうすれば神のみそばへ行けるのでしょうか。人はみな、自分の罪ゆえに、神から遠く離れてしまっています。神は、罪ある私たちを受け入れることができません。イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)」と言われました。私たちは自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じる信仰によって、神に受け入れられて、父のみもとへ行くことができます。
 

神のみそばに助けがある

 「神のみそばにいる」というのは、イエス・キリストに信頼して、この方に助けられて生きることです。
 私たちは時に、日々の生活の忙しさに追われて、気づかないうちに、自分で抱え込んでしまい、追い詰められてしまうことがあったりします。その中で、主に助けを求めることができます。「主が私をこの場所に置いてくださっている、今私が置かれている状況も全部主は知っておられる。だから私は、この場所で仕えていきます。ここが私の居場所です」と決意する時、平安を得て、希望を持って前を向き、主に助けられて最善を尽くすことができるようになります。
 

みそばにいることが幸せ

 冒頭のみことばの著者は、「私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。」と言いましたが、私たちも同じです。神のみそばにいるので、「神が一緒にいてくださるから大丈夫。神は私の味方であり、私を助けてくださる、だから私は揺るがされることがない。失望させられることはない。」と、安心して生きられるのです。(岩下 栄作)
 


 

バザー 値付けのご奉仕

 先週日曜日、バザーに出品する品物の、値付け作業が行われました。
 早速、多くの品物が出されていました。奉仕者は、一つ一つ中身を確認しながら、値付けをしていました。
 品物を出される方は、プレヤーハウス1階掲示板に、出品表がありますので、必要事項を記入の上、品物に出品表を添付して、掲示板下の段ボールに入れてください。
 

那古野アウトリーチ

 先週の日曜日、また平日に、那古野アウトリーチの奉仕者が、映画上映会のお誘いをするために訪問に出かけていました。
 本日、午後2時から、映画上映会が行われます。お祈りください。

26.7.5 私の居場所
 


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「詩篇73:28 しかし 私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。私は 神である主を私の避け所とし あなたのすべてのみわざを語り告げます。」
 

「置かれた場所で咲きなさい」

 2012年に、渡辺和子さんというシスターが書いた著書「置かれた場所で咲きなさい」は、200万部を売り上げ、ベストセラーとなりました。
 渡辺さんは、29才で修道女となり、その後、岡山にあるノートルダム清心学園に赴任し、その翌年、当時の学長が亡くなられ、急きょ36歳の若さで、学長に任命されることになります。初めての土地で、思いもよらない形で任された立場で、彼女は自信を喪失し、思いつめていた時でした。
 ある宣教師からもらった手紙の中に「置かれたところで咲きなさい」と書いてあったそうです。彼女は、仕方がないとあきらめたり、周りの環境のせいにするのをやめて、「この場所で自分が幸せに生き、周りも幸せにするのだ」と決意して、神が自分をこの場所に置いてくださったことを示す生き方へと変えられました。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。」と著者は言っています。
 

神のみそばが私の居場所

 居場所は、ありのままの自分でいられる、安心できる場所であり、「ずっとそこに居たい」と思える場所ではないでしょうか。たとえば、子どもにとっての居場所は、家庭です。家庭に愛があれば、子どもは安心してその場所に居ることができます。職場で、任されたポジションで、与えられた役割を全うし、やりがいを持って働く時、「私はここで生きていくんだ」と、そこに自分の居場所を見出します。
 聖書は、人が本来居るべき場所は、神のみそばであると教えています。人はみな神によって造られ、神のかたちに似せて造られた存在です。ですから、神のみそばに行き、神と一緒に過ごす時、本当の平安を得ることができます。
 では私たちは、どうすれば神のみそばへ行けるのでしょうか。人はみな、自分の罪ゆえに、神から遠く離れてしまっています。神は、罪ある私たちを受け入れることができません。イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)」と言われました。私たちは自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じる信仰によって、神に受け入れられて、父のみもとへ行くことができます。
 

神のみそばに助けがある

 「神のみそばにいる」というのは、イエス・キリストに信頼して、この方に助けられて生きることです。
 私たちは時に、日々の生活の忙しさに追われて、気づかないうちに、自分で抱え込んでしまい、追い詰められてしまうことがあったりします。その中で、主に助けを求めることができます。「主が私をこの場所に置いてくださっている、今私が置かれている状況も全部主は知っておられる。だから私は、この場所で仕えていきます。ここが私の居場所です」と決意する時、平安を得て、希望を持って前を向き、主に助けられて最善を尽くすことができるようになります。
 

みそばにいることが幸せ

 冒頭のみことばの著者は、「私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。」と言いましたが、私たちも同じです。神のみそばにいるので、「神が一緒にいてくださるから大丈夫。神は私の味方であり、私を助けてくださる、だから私は揺るがされることがない。失望させられることはない。」と、安心して生きられるのです。(岩下 栄作)
 


 

バザー 値付けのご奉仕

 先週日曜日、バザーに出品する品物の、値付け作業が行われました。
 早速、多くの品物が出されていました。奉仕者は、一つ一つ中身を確認しながら、値付けをしていました。
 品物を出される方は、プレヤーハウス1階掲示板に、出品表がありますので、必要事項を記入の上、品物に出品表を添付して、掲示板下の段ボールに入れてください。
 

那古野アウトリーチ

 先週の日曜日、また平日に、那古野アウトリーチの奉仕者が、映画上映会のお誘いをするために訪問に出かけていました。
 本日、午後2時から、映画上映会が行われます。お祈りください。