週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

24.04.28 救いの恵み


 
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2024.4.28週報.pdf
 
「Ⅰペテロ1:10-12 この救いについては、あなたがたに対する恵みを預言した預言者たちも、熱心に尋ね求め、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もって証ししたときに、だれを、そしてどの時を指して言われたのかを調べたのです。彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。」
 

人々の一番の関心  救い主(メシヤ)

 旧約の時代において多くの人たちの関心は、救い主(メシヤ)とは誰なのか、そしてそのメシヤはいつ訪れるのか、ということでした。彼らの待ち望んでいたメシヤは、イスラエルを復興して国を治める真のリーダー、指導者でした。そのメシヤ思想はダビデの子孫から出てくる王をメシヤとして待ち望むのが一般的でした。国を引っ張って行くようなカリスマ的な存在を求めていた当時の人たちにとって、苦難のしもべがメシヤであるということを理解することはとても難しいことでした。そして、新約の時代になり、イエス・キリストが来られ、十字架と復活によって、旧約の預言者たちによって預言されていた救い主が来られるという預言が成就しました。

預言者たちは救いの恵みを知ることはなかった

 預言者の役割は、神のことば、メッセージを民に伝えることです。たとえば、預言者イザヤは、イエス様がお生まれになる約700年も前の時代の人ですが、救い主キリストが来られるという神のメッセージを民に伝えました。旧約の時代の預言者たちは、このやがて訪れる救い主が、「だれ」のことを言っていて、それが「どの時」であるのかを熱心に細かく調べました。その中で、彼らが預言した救いの恵みは、預言者たち自身のために訪れるものではなく、彼らの時代以降の人たちのためであって、彼らはその人たちのために奉仕(預言)しているということでした。ですので、彼らは、キリストについての証しをしましたが、彼ら自身はその救いの恵みを実際に見て経験することはありませんでした。まだその時ではなかったのです。しかし、彼らの中ではっきりと確信を得ていたことは、「救い主が来られるというこの預言は必ず成就する時が来る」ということでした。彼らは、この手紙の読者たちが経験した、キリストを信じる信仰によって救われるという神の恵みにあずかることはできませんでしたが、後の人たちのために預言をするという役割を果たすことこそ、神からの賜物であることを知って、その使命に燃えて仕えていました。

預言されていた救いの恵みに今あずかっている

 旧約の時代、人々はモーセを通して与えられた律法を守ることによって救われると信じ、その律法を厳格に守ろうと努めていました。しかし人は、その努力や良い行いによって神の言われる基準に到達することはできません。そしてイエス・キリストによって、救いの道が開かれたことで、「人は信仰によって神の恵みのゆえに義と認められる」という救いの真実が明らかにされました。そして当時の預言者たちが見ることがなかった救いの恵みを、この手紙の読者であるクリスチャンたちは体験しました。キリストの十字架の血によるあがないによって、罪赦され、きよくされ、御霊が結ばせてくださる豊かな実を結ぶ恵みにあずかりました。その良き知らせ、福音が、弟子たちを通して証しされ、今日の私たちにも届けられて、私たちは、神の豊かな恵みにあずかる特権をいただいています。神の前に砕かれ、神の前に良い行いが何一つできない者の罪が赦され、救われたことによって、神の愛を知り、救いの喜びを経験し、神の全き平安をいただきました。私たちは、このような救いの恵みを、今というこの時にいただいていることを感謝したいと思います。

答えが出るまで求め続けよう

 救いの恵みは、救われた時で終わりではありません。今も主は私たちに豊かな恵みを注ぎたいと願っておられます。それは、家族の救いであったり、病のいやしであったり、人間関係の回復であったり、仕事の成功、経済的な祝福であったりします。その恵みを神が私たちに注いでくださる「神の時」があります。私たちの問題が解決されること、つまり恵みを受けるのには、神の時があり、解決されるかどうかは神にかかっています。私たちはその時を待たなければなりません。しかし、それをただじっと何もしないでその瞬間が来るのを待つのではなく、私たちがすることは、神にその時をゆだね、そして「必ずその時が来る」と信じて解決が得られるまで、あきらめないで求め続けることです。私たちが信じている神様は、ご自分に求める人に報いてくださる方です。救いの恵みを経験してまいりましょう。(岩下 栄作)

24.04.28 救いの恵み
 


 
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「Ⅰペテロ1:10-12 この救いについては、あなたがたに対する恵みを預言した預言者たちも、熱心に尋ね求め、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もって証ししたときに、だれを、そしてどの時を指して言われたのかを調べたのです。彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。」
 

人々の一番の関心  救い主(メシヤ)

 旧約の時代において多くの人たちの関心は、救い主(メシヤ)とは誰なのか、そしてそのメシヤはいつ訪れるのか、ということでした。彼らの待ち望んでいたメシヤは、イスラエルを復興して国を治める真のリーダー、指導者でした。そのメシヤ思想はダビデの子孫から出てくる王をメシヤとして待ち望むのが一般的でした。国を引っ張って行くようなカリスマ的な存在を求めていた当時の人たちにとって、苦難のしもべがメシヤであるということを理解することはとても難しいことでした。そして、新約の時代になり、イエス・キリストが来られ、十字架と復活によって、旧約の預言者たちによって預言されていた救い主が来られるという預言が成就しました。

預言者たちは救いの恵みを知ることはなかった

 預言者の役割は、神のことば、メッセージを民に伝えることです。たとえば、預言者イザヤは、イエス様がお生まれになる約700年も前の時代の人ですが、救い主キリストが来られるという神のメッセージを民に伝えました。旧約の時代の預言者たちは、このやがて訪れる救い主が、「だれ」のことを言っていて、それが「どの時」であるのかを熱心に細かく調べました。その中で、彼らが預言した救いの恵みは、預言者たち自身のために訪れるものではなく、彼らの時代以降の人たちのためであって、彼らはその人たちのために奉仕(預言)しているということでした。ですので、彼らは、キリストについての証しをしましたが、彼ら自身はその救いの恵みを実際に見て経験することはありませんでした。まだその時ではなかったのです。しかし、彼らの中ではっきりと確信を得ていたことは、「救い主が来られるというこの預言は必ず成就する時が来る」ということでした。彼らは、この手紙の読者たちが経験した、キリストを信じる信仰によって救われるという神の恵みにあずかることはできませんでしたが、後の人たちのために預言をするという役割を果たすことこそ、神からの賜物であることを知って、その使命に燃えて仕えていました。

預言されていた救いの恵みに今あずかっている

 旧約の時代、人々はモーセを通して与えられた律法を守ることによって救われると信じ、その律法を厳格に守ろうと努めていました。しかし人は、その努力や良い行いによって神の言われる基準に到達することはできません。そしてイエス・キリストによって、救いの道が開かれたことで、「人は信仰によって神の恵みのゆえに義と認められる」という救いの真実が明らかにされました。そして当時の預言者たちが見ることがなかった救いの恵みを、この手紙の読者であるクリスチャンたちは体験しました。キリストの十字架の血によるあがないによって、罪赦され、きよくされ、御霊が結ばせてくださる豊かな実を結ぶ恵みにあずかりました。その良き知らせ、福音が、弟子たちを通して証しされ、今日の私たちにも届けられて、私たちは、神の豊かな恵みにあずかる特権をいただいています。神の前に砕かれ、神の前に良い行いが何一つできない者の罪が赦され、救われたことによって、神の愛を知り、救いの喜びを経験し、神の全き平安をいただきました。私たちは、このような救いの恵みを、今というこの時にいただいていることを感謝したいと思います。

答えが出るまで求め続けよう

 救いの恵みは、救われた時で終わりではありません。今も主は私たちに豊かな恵みを注ぎたいと願っておられます。それは、家族の救いであったり、病のいやしであったり、人間関係の回復であったり、仕事の成功、経済的な祝福であったりします。その恵みを神が私たちに注いでくださる「神の時」があります。私たちの問題が解決されること、つまり恵みを受けるのには、神の時があり、解決されるかどうかは神にかかっています。私たちはその時を待たなければなりません。しかし、それをただじっと何もしないでその瞬間が来るのを待つのではなく、私たちがすることは、神にその時をゆだね、そして「必ずその時が来る」と信じて解決が得られるまで、あきらめないで求め続けることです。私たちが信じている神様は、ご自分に求める人に報いてくださる方です。救いの恵みを経験してまいりましょう。(岩下 栄作)