26.2.22 神によってどんなことでもできる
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2026.2.22 週報.pdf
「ピリピ4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
苦手なことがある
だれでも、苦手なものがあると思います。私は昔から数学に苦手意識がありました。しかし本当に苦手なのかというとそうでもなく、受験のときには必死で勉強をして良い成績をもらったこともあり、「苦手と思い込んでいたけど、真剣に勉強していないだけだった」と反省した記憶があります。苦手意識のあるものも、実際は真剣に取り組めば、たいていのことはできるようになるのだろうと思います。
しかし、そうわかっていても、「できない」と思ってしまうことが私にはありました。それは、人にわかりやすく話を伝えるということです。普段の生活でも、人との関わりには必要なことですが、説教の奉仕の中で面と向かわされることになりました。
なぜ「できない」と思うのか
そこで、なぜ「できない」と思ってしまうのか、と祈り求めていきました。説教のアドバイスを受ける中で、すすめられた本から、自分がなんとなく感じたり、思ったりしていることをことばにすること(言語化)の大切さを知りましたので、「できない」と思ってしまう理由を書き出していきました。「自分は人格者ではない」「理路整然と話すことが苦手」などとことばにしていくと、結局、自分を人とくらべていたのだとわかりました。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)」とみことばが示されて、人と比べていたことを悔い改めました。「できる」と思えるようになることを求めていましたが、このできない自分のありのままで、神様に使っていただけるのだと気づかされました。
主のしもべとして歩む
できないありのままの自分がどうしたら用いられるでしょうか。パウロは、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」と言っています。彼は迫害や病などの苦難にあって、自身に弱さを覚える中でもいつも神に信頼し、キリストのしもべとしてどこまでも従順に従いました。神が行けと言われるところに行き、語れと言われたところに留まって福音を語りました。神様は従順に従う者を必ず助けてくださいます。パウロの行くところには力強く福音が広がっていきました。するべきことは、自分が立派なことを語ろうとすることではなく、できない自分のありのままで、ただ主のしもべとして、主が私に語れと命じられていることをただ忠実に語ることと教えられています。
神によってどんなことでもできる
説教の奉仕において主に言われていることは、大きな声で話しなさいということ、感情を込めて話すこと、人の顔を見て話すことなどです。何年も前から指摘されるたびにその瞬間はやってみても、うまくいかないとすぐにやめてしまうことを繰り返していました。今回その原因が人と比べることに時間を費やしていたことだとわかりました。そして、ただ神様の言われることに、どんなにうまくいかなくても、恥をかいても従うことを決心させられました。大きな声で、感情を込めて、人の顔を見て話すことをしていきたいと思います。主に従順に従うところに主が働いてくださり、どんなことも
できることを信じます。(鈴木千史)
木の講壇と椅子のメインテナンス
26.2.22 神によってどんなことでもできる
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「ピリピ4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
苦手なことがある
だれでも、苦手なものがあると思います。私は昔から数学に苦手意識がありました。しかし本当に苦手なのかというとそうでもなく、受験のときには必死で勉強をして良い成績をもらったこともあり、「苦手と思い込んでいたけど、真剣に勉強していないだけだった」と反省した記憶があります。苦手意識のあるものも、実際は真剣に取り組めば、たいていのことはできるようになるのだろうと思います。
しかし、そうわかっていても、「できない」と思ってしまうことが私にはありました。それは、人にわかりやすく話を伝えるということです。普段の生活でも、人との関わりには必要なことですが、説教の奉仕の中で面と向かわされることになりました。
なぜ「できない」と思うのか
そこで、なぜ「できない」と思ってしまうのか、と祈り求めていきました。説教のアドバイスを受ける中で、すすめられた本から、自分がなんとなく感じたり、思ったりしていることをことばにすること(言語化)の大切さを知りましたので、「できない」と思ってしまう理由を書き出していきました。「自分は人格者ではない」「理路整然と話すことが苦手」などとことばにしていくと、結局、自分を人とくらべていたのだとわかりました。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)」とみことばが示されて、人と比べていたことを悔い改めました。「できる」と思えるようになることを求めていましたが、このできない自分のありのままで、神様に使っていただけるのだと気づかされました。
主のしもべとして歩む
できないありのままの自分がどうしたら用いられるでしょうか。パウロは、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」と言っています。彼は迫害や病などの苦難にあって、自身に弱さを覚える中でもいつも神に信頼し、キリストのしもべとしてどこまでも従順に従いました。神が行けと言われるところに行き、語れと言われたところに留まって福音を語りました。神様は従順に従う者を必ず助けてくださいます。パウロの行くところには力強く福音が広がっていきました。するべきことは、自分が立派なことを語ろうとすることではなく、できない自分のありのままで、ただ主のしもべとして、主が私に語れと命じられていることをただ忠実に語ることと教えられています。
神によってどんなことでもできる
説教の奉仕において主に言われていることは、大きな声で話しなさいということ、感情を込めて話すこと、人の顔を見て話すことなどです。何年も前から指摘されるたびにその瞬間はやってみても、うまくいかないとすぐにやめてしまうことを繰り返していました。今回その原因が人と比べることに時間を費やしていたことだとわかりました。そして、ただ神様の言われることに、どんなにうまくいかなくても、恥をかいても従うことを決心させられました。大きな声で、感情を込めて、人の顔を見て話すことをしていきたいと思います。主に従順に従うところに主が働いてくださり、どんなことも
できることを信じます。(鈴木千史)
木の講壇と椅子のメインテナンス
先週、倉庫に保管されていた木の講壇と椅子のメインテナンスが、ご奉仕によって行われました。木の講壇と椅子は、教会発足当時に、近所の聖具店の方から教会に贈られたものです。長年使われてきましたが、乾燥のため、所々ひび割れが目立つようになりました。そのため木製家具用のオレンジオイルで油分を補う作業が行われました。まず一度オイルを塗り、乾いてからもう一度塗る作業が奉仕者によって行われていました。オイルが塗られた講壇と椅子はつやが戻って、見た目もあざやかになりました。次回使われるときまで倉庫に保管されます。主にあるご奉仕を感謝します。