週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

26.5.24 明日のことを誇るな


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2026.5.24 週報.pdf
 
「箴言27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。」
 

行ってみないとわからない景色

 以前、梅の花が咲いている公園に行った時のことでした。公園には、辺り一面、色鮮やかに梅の花が咲き誇っていました。散歩をしていると、公園全体を見渡せる高台を見つけて登って行くと、満開の梅の花を一望することができました。そこから、さらにもう少し高い見晴らし台があり行ってみると、下の高台とは全く違う景色を楽しむことができました。
 そこから降りた時、ある夫婦の会話が聞こえてきました。私が今見てきた高台に登るかどうかについての話でした。「上行ってみる?」「ココとあまり変わらないでしょ?」「じゃあやめようか」と言って、その夫婦は登って行きませんでした。今感動して降りてきた私にとっては、「いや、そんなことないですよ。ココよりももっといい景色ですよ」と言ってあげたい気持ちになりました。
 

将来は、主の御手の中にある

 掲題のみことばは、「私たちの将来は、私たちのうちにあるのではなく、主の御手の中にある。だから主に希望を置いて生きなさい。」と教えています。
 私たちは、将来のビジョンを描いたり、計画を立てたりしますが、計画を立てること自体は必要なことですが、神様を抜きにして、自分の将来が、すべて自分の思い通りに事が進んでいくかのように考えることを、主は戒められます。
 たとえば、勉強をするときに、「これは前回もちゃんとできた内容だから、今回も大丈夫だろう」と高をくくって、やるべきことを怠って、失敗をしてしまったということがあるかもしれません。また反対に、過去に失敗したり、うまくいかなかった経験があって、また同じような場面に遭遇した時に、「おそらくこれは、私には無理だと思う。だからやめておこう」と、まだやってもいないのに、この先どうなるかもわからないのに、やる前から出来ないと決めつけてしまう、ということもあるかもしれません。
 私たちの将来は、すべて主の御手の中に、主のご支配の下にあります。私たちの命や時間、人生は、神から与えられたものです。ですから、すべてを導き、支配しておられる神に希望を置いて生きなければなりません。
 

将来に希望を与えてくださる主を誇ろう

 私たちが誇るべきは、明日のことではなく、私たちの将来に希望を与えてくださる真の神様です。病がいやされること、人間関係が回復されること、生活の必要が満たされることの希望は、神様から与えられます。
 私たちが、主の主権、ご支配を認めるとき、「主よ、あなたには、どんなことでもおできになります。不可能なことは一つもありません。主は不可能を可能にしてくださる方であり、最善をなされる方であり、私を助けてくださるお方です。ですから私は主にあってできると信じます」と言うことができます。「私の信じている神様は、こんなにも素晴らしいお方なんです」と、主がどんなお方なのかを知っていることが、私たちの誇りでありたいと思います。
 

今、最善を尽くすことがみこころ

 将来のこと、起こる結果については、すべて主にゆだねて、私たちは、主から与えられている「今日」という時間、「今」という時間を使って、今、主が私たちに与えておられる能力、賜物を使って、今自分にできる最善を尽くしてまいりましょう。それが、主のみこころであると信じます。主に希望を置いて生きられる人生を感謝します。(岩下 栄作)
 


 

LEDビジョンの修理

 先週、LEDビジョンの修理が行われました。
 映像に不具合が生じていた件で、業者の方が来られました。パネルを交換し、また電源関係の部品を交換してもらい、不具合は解消されました。感謝します。

表示板の設置

 礼拝中、音響のことで問題が起きた時に、奏楽者とPA奉仕者との間のやり取りがスムーズにできるように、PA操作卓に表示板が取りつけられました。
 奏楽者が見て、一目でわかるようになり、スムーズな連携が取れるようになります。

26.5.24 明日のことを誇るな
 


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「箴言27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。」
 

行ってみないとわからない景色

 以前、梅の花が咲いている公園に行った時のことでした。公園には、辺り一面、色鮮やかに梅の花が咲き誇っていました。散歩をしていると、公園全体を見渡せる高台を見つけて登って行くと、満開の梅の花を一望することができました。そこから、さらにもう少し高い見晴らし台があり行ってみると、下の高台とは全く違う景色を楽しむことができました。
 そこから降りた時、ある夫婦の会話が聞こえてきました。私が今見てきた高台に登るかどうかについての話でした。「上行ってみる?」「ココとあまり変わらないでしょ?」「じゃあやめようか」と言って、その夫婦は登って行きませんでした。今感動して降りてきた私にとっては、「いや、そんなことないですよ。ココよりももっといい景色ですよ」と言ってあげたい気持ちになりました。
 

将来は、主の御手の中にある

 掲題のみことばは、「私たちの将来は、私たちのうちにあるのではなく、主の御手の中にある。だから主に希望を置いて生きなさい。」と教えています。
 私たちは、将来のビジョンを描いたり、計画を立てたりしますが、計画を立てること自体は必要なことですが、神様を抜きにして、自分の将来が、すべて自分の思い通りに事が進んでいくかのように考えることを、主は戒められます。
 たとえば、勉強をするときに、「これは前回もちゃんとできた内容だから、今回も大丈夫だろう」と高をくくって、やるべきことを怠って、失敗をしてしまったということがあるかもしれません。また反対に、過去に失敗したり、うまくいかなかった経験があって、また同じような場面に遭遇した時に、「おそらくこれは、私には無理だと思う。だからやめておこう」と、まだやってもいないのに、この先どうなるかもわからないのに、やる前から出来ないと決めつけてしまう、ということもあるかもしれません。
 私たちの将来は、すべて主の御手の中に、主のご支配の下にあります。私たちの命や時間、人生は、神から与えられたものです。ですから、すべてを導き、支配しておられる神に希望を置いて生きなければなりません。
 

将来に希望を与えてくださる主を誇ろう

 私たちが誇るべきは、明日のことではなく、私たちの将来に希望を与えてくださる真の神様です。病がいやされること、人間関係が回復されること、生活の必要が満たされることの希望は、神様から与えられます。
 私たちが、主の主権、ご支配を認めるとき、「主よ、あなたには、どんなことでもおできになります。不可能なことは一つもありません。主は不可能を可能にしてくださる方であり、最善をなされる方であり、私を助けてくださるお方です。ですから私は主にあってできると信じます」と言うことができます。「私の信じている神様は、こんなにも素晴らしいお方なんです」と、主がどんなお方なのかを知っていることが、私たちの誇りでありたいと思います。
 

今、最善を尽くすことがみこころ

 将来のこと、起こる結果については、すべて主にゆだねて、私たちは、主から与えられている「今日」という時間、「今」という時間を使って、今、主が私たちに与えておられる能力、賜物を使って、今自分にできる最善を尽くしてまいりましょう。それが、主のみこころであると信じます。主に希望を置いて生きられる人生を感謝します。(岩下 栄作)
 


 

LEDビジョンの修理

 先週、LEDビジョンの修理が行われました。
 映像に不具合が生じていた件で、業者の方が来られました。パネルを交換し、また電源関係の部品を交換してもらい、不具合は解消されました。感謝します。

表示板の設置

 礼拝中、音響のことで問題が起きた時に、奏楽者とPA奉仕者との間のやり取りがスムーズにできるように、PA操作卓に表示板が取りつけられました。
 奏楽者が見て、一目でわかるようになり、スムーズな連携が取れるようになります。