15.12.27 2015年感謝

15.12.20 クリスマスおめでとうございます

15.12.13 解決されない問題はない

15.12.06 実を結ぶ

15.11.29 小気味良い喜び

15.11.22 主を想う

15.11.15 信じなければ始まらない

15.11.08 信じることは明け渡すこと

15.11.01 神様が住まわれているってどんなこと

15.10.25 神の愛が届いている

15.10.18 主にあってどんなことでもできる

15.10.11 自信

15.10.04 事実 推測 意見

15.09.27 主とともに歩むということ

15.09.20 神の国のビジュアリゼーション

15.09.13 恥の中心で勝利を叫ぶ

15.09.06 恥から逃げない

15.08.30 こんな自分が辛い

15.08.23 ここに立って見える景色

15.08.16 愛はあきらめない

15.08.09 仕えるリーダーシップ

15.08.02 自由と大胆

15.07.26 自由であることの考察

15.07.19 忘れないで生きられる

15.07.12 お休み

15.07.05 恵みを知らないからなんだ



「第二コリント人への手紙 2:14-17 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。  私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。」
 2015年の最後の聖日を迎えました。今年の一年も、多くの主の恵みをいただき感謝します。毎年あっという間に一年が過ぎていく気がします。振り返りますと、一つ一つの出来事がまるで昨日のように感じます。
 主だった行事では、オイコス休暇、キャンプ、聖会、バザー、クリスマス集会、本当に今年も感謝の思い出がいっぱいです。

コンサート&メッセージ感謝

 一番の行事となるクリスマスですが、今年も恵まれました。多少厳しい準備をさせられましたが、かえって、良き働きをすることができたと思います。私たちの働きで、実が実ることも実らないこともあります。しかし、それがどうであっても、主は私たちにキリストの香りを放ってくださることです。
 感謝なことは、混ぜ物をしないで伝えるとき、それが死の香りであれ、いのちの香りであれ、キリストの香りであることです。愚直であっても、ストレートな働きを続けていきたいと思います。
 十分に伝わっていないのかと思いきや、感動したこと、求める思いが起こされたこと、真剣に心が動かされたこと、などの反応をいくつか聞かされました。主に感謝します。
 他にも、兄弟姉妹のいやしや解放につながる主の働きが見られたことは、大きな励ましでした。兄弟姉妹が、動かされていることを心から主に感謝します。

すべてが満たされました

 会場の設備や飾り付け、機材について、費用がかかりました。それでも、歳末助け合いに、ささげることを計画させていただきました。もしこれが人間的な計画によることならば、満たされないとの覚悟もしておりました。
 今まで以上にきれいな飾り付けができました。そして、ささげることもできました。結果、ちょうど満たされております。主に感謝します。その時点時点でするべきことを淡々とさせられて、与えられた結果です。「伝道者の書 11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」との教えそのものでした。

仕えること自体が報酬

 パウロにとって、主を宣べ伝え、人々が救われていくことが喜びであり、働きの報いを受けることでした。しかしながら、真実、彼には主に仕えること自体が喜びであり、実が実っても実らなくても、報いを受け取っていたのでした。
 キリストの香りを放つこと、ただ主の働きをストレートになすこと、そのことが喜びでした。キリストの香りを放って、あるときは実が実らなくて、死の香りを放つという結果になります。あるときは、実が実って、いのちの香りを放つという結果になります。そのどちらも主がなされることです。パウロには、その働きの中にいることが喜びでした。結果によって喜んだり、喜べなかったりしているのではありませんでした。主に仕えること自体が報酬でした。
 仕えること自体を喜びとしてくださっている、みなさんのゆえに主に感謝します。三つも四つも奉仕を掛け持ちして、仕えておられる姿には、仕えること自体が喜びであり、主からの報いを受け取っているのだなあ、と感謝させられます。頼まれもせず、知られもしないし、感謝もされないが、逆に自分の心には、主に対する感謝があふれているのでしょう。
 2015年を主に感謝します。